乗附練兵場での競馬(群馬県)
1895(明28)年〜1911(大1)年

朝鮮半島(朝鮮王朝)をめぐり大日本帝国と大清国の戦争が8ヶ月ほど続いた
その
日清戦争終戦後
高崎市内乗附練兵場に200間(約400m)の円形馬場を設置し
1895(明28)年:
高崎15連隊主催戦勝祝賀競馬高崎市内乗附練兵場で開催された

当時の数少ない娯楽のひとつとして続けられたが
1911(大1)年:明治から大正に変わった頃、本格的な馬場では無い乗附練兵場での競馬には
競馬施行上の改善と危険防止の改善が求められ
県令の
競馬取締規則の制定により休止となる


その後、
1923(大12)年:当時の高崎市の有力者が中心となり
高崎常設倶楽部を設立し
高崎市岩押町に資本金15,000円で総面積7町2反歩(72,000u)
800m右廻りの馬場をもつ
高崎競馬場を創設し群馬県畜産組合連合会主催により初めて
優勝馬景品付競馬、勝馬投票券(1枚1円、最高払戻金額10円に制限)の
発券を伴う近代競馬が開催される



高崎市下和田町